ピースあいちに行きました

10月3日(水)、班行事で、戦争と平和の資料館 ピースあいちへ行きました。

聞いたことはあったけど、ピースあいちとはどんなところだろう?
古ぼけた暗ーい資料館なのかな~と想像していたら、実際はとても明るくてきれいな建物です。
閲覧料大人300円で、戦争と平和に関する最新の情報も随時追加して展示されており、過去から現代の流れを知ることができます。

福島原発事故や脱原発1万人集会のことも早々と展示されていました!

最初にビデオを観て、ガイドさんの説明を聞きながら館内展示物を観て回ります。

1945年3月24日深夜から始まった名古屋市東部の大空襲の写真が大きく飾られており、
その前に焼夷弾なども展示されていました。

この時、1678人もの死者がでたそうです。
名古屋は飛行機工場が多かったため、東京に次いで空襲が多かったとのこと。
焼夷弾という住宅地を燃やすためのこの爆弾は、油脂をゼリー状にしたものを入れることにより、広く飛散し、火が建物に付着して木造家屋をよく燃やします。
爆弾というのは落とす場所や意図に合わせて、最大のダメージを与えるように綿密にチョイスされていることを知り、怖さが増しました。
名古屋出身ではない私は、戦時中の名古屋がどんな風だったのか初めて知りました。

強制連行、慰安婦、南京大虐殺、731部隊による細菌兵器の人体実験など。

ピースあいちでは加害の歴史も伝えていこうとのことで、このような展示もあります。
教科書で教えてくれないことがたくさんあるんだなぁと実感。

被害だけではなく、加害も事実として知らなければ井の中の蛙(かわず)ですね。

私は積極的に戦争の歴史を自分で情報を得て学ぼうとしていなかったので、知らないことだらけで恥ずかしいです。

被害者の写真。
大パネルの真ん中あたりに大きく写っているのは、小学校校庭で焼かれる順番を待つ弟をおんぶする子供。
なんと悲しい光景でしょう。涙が出ます。

戦争は絶対にイヤ。二度と繰り返してはいけないと思いました。

この他に、戦争孤児の写真が展示されており、衝撃でした。

半裸の子供たちがたくさん檻に入れられているんです!

この子たちは生き残ったけど、どうやって戦後を生きて行ったのでしょうか。
その後どうなったのでしょうか。

半日でザックリ見学しましたが、詳細までは把握できない程の資料が詰まっています。
それでも新しい発見や衝撃は本当にたくさんありました。

地域の子供たちが学校のクラス単位(キャパシティ上)でもっともっとピースあいちへ見学に行って欲しいと思いました。

一部の学校は見学に来るけど、そんなに多くないそうです。

名古屋市内より遠い学校の方が来てるみたいです。

なんともったいない!

せめて自分の子供を連れてきて、戦争の怖さ、平和大切さを教えたい思いました。

みなさんもピースあいちにぜひ足を運んでみてください。